埋もれた歴史を未来へつなぐ
相談役
埋もれた歴史を未来へつなぐ
上席研究員
石を読む。
そこに残る“つくり手の意図”をたどる仕事です。
上席研究員
石を読む。
そこに残る“つくり手の意図”をたどる仕事です。
旧石器時代とは何か
私が専門にしているのは旧石器時代です。年代で言いますと、だいたい今から1万6000年前から3万8000年前の時期を指します。縄文時代と違って土器は出てきません。出土するのは、基本的に石だけです。住居跡のような定住の痕跡も、ほとんど見つかりません。人々は狩りをしながら移動し、その場その場で必要な道具を石でつくって暮らしていた——そんな時代です。
火を使った痕跡——「礫群」という調理施設
旧石器時代の調査で特徴的なのは「礫群(れきぐん)」が出ることです。丸い河原石を直径1メートルほどの円形に敷き詰めて、そこで火を焚いた痕跡ですね。余熱を使って食材を加熱する、いわば原始的な調理場です。旧石器時代の人々も、きちんと火を使っていました。住居の柱穴のような構造は基本的に見えませんが、礫群のような“生活の温度”が伝わる施設から、当時の暮らしぶりが立ち上がってきます。
例外としての住居状遺構(相模原市・田名向原遺跡)
旧石器時代に住居跡はほとんど見つからない——それが定説ですが、例外もあります。相模原市の田名向原遺跡では、約2万1500年前のものと考えられる住居のような遺構、いわゆる「住居状遺構」が確認されています。石で範囲が示され、柱穴や炉の痕跡まで認められる、非常に貴重な事例です。国の史跡にも指定されていて、旧石器時代の居住実態を考える上で重要な手がかりになっています。
狩猟施設(横須賀市・船久保遺跡)
横須賀市の船久保遺跡では、約3万年前の陥し穴群が見つかっています。谷を横切るように3列、80メートル以上にわたって連続して設置されているんです。しかもここには二つの時期の陥し穴がありまして、約3万1000年前の円形と、約3万年前の四角形という、形の違いが確認されています。形状と時期が異なる陥し穴が同一遺跡から出ているのは、日本ではここだけです。旧石器の人々が、地形を読み、動物の動線を計算して大がかりな狩猟をしていたことがうかがえます。
研究の入口と、40年以上の調査
この道に進むきっかけは、大学入学前の春休みに参加した高井戸東遺跡の発掘でした。旧石器時代を専門とする小田静夫先生に師事し、そのご縁で玉川文化財研究所に呼んでいただきました。以来、40年以上にわたり、30カ所を超える旧石器遺跡の調査を担当し、報告書も40冊ほど作成してきました。現場で石器と向き合い、文献で裏づけを取り、図化でまとめ上げる——その積み重ねが、今の自分をつくってくれたと思っています。
若い研究者へ——“石を読む”ための基礎
旧石器の研究は、簡単ではありません。石の割れ方を見て、どう割ったか、どの方向から剥離したかを読み取る必要があります。石器がどの時期のものかを判断するには、「編年(へんねん)」の知識が欠かせません。つまり、旧石器時代の中でも技術の変遷がありますから、段階ごとの製作技術の違いを、手触りのレベルで理解することが大切です。想像力も必要ですが、それ以上に、現場の情報(出土状況・層位・深さ)と技術史の知識を組み合わせて、論理的に時期を見極める力を養ってほしいと思います。
















研究の核心——石器の「実測図」をつくる
旧石器研究の中で、私がいちばん大事で、いちばん面白いと思っているのが「石器実測図」です。昔は、定規やデバイダーで寸法を取り、点を打って線でつないで……すべて手作業でした。今はデジタルの力も借ります。石器の稜線に白線を入れて展開写真を撮り、パソコン上で外形線と稜線をデジタルトレースします。そこまでは効率化できましたが、仕上げはやはり人の目と手の仕事です。プリントアウトした図に、実物を見ながら「剥離の方向や順番」をリングとフィッシャーで描き込みます。これは写真や3Dスキャンでは再現しきれない、極めて専門的な表現です。つくり手の手順を、線の太さや重なりで“訳す”作業だと私は思っています。
石器を見ていると、ある瞬間に、剥離の順番や方向が筋道として立ち上がることがあります。どうやってつくったのか、何のためにつくったのかが、すっと落ちるんですね。ナイフ形石器やスクレイパーのように、機能に応じて“合理的な割り方”がある。その必然を読み切れたとき、ただの石が、確かな「道具」として目の前にあらわれます。そこが旧石器研究のいちばん面白いところですし、この先も変わらない核心だと思っています。